【自己紹介⑪】世界挑戦

前回のブログの続きです。

知覧特攻平和会館

正式に試合が決まる前の1月

スポンサーをしていただいていた方に鹿児島にある知覧特攻平和会館に連れて行ってもらい、そこで特攻隊に選ばれた方々が出動前夜に書いた手紙を目にしました。

国のために明日命を懸けて戦う方々が、家族や友人恋人などへ向けた内容を読み、相当な決意を感じました。

特攻隊の方々の当時の心境とは比べ物になりませんが、世界挑戦に向けて決意ができました。

世界戦決定

5月4日にIBF世界スーパーフライ級チャンピオンのジャルウィン・アンカハス選手への挑戦が決まりました。

すれも!なんとWOWOWで生中継!!

場所は、ロサンゼルスやラスベガスで試合をするという話もあり、最終的に決まった場所はストックトン。

え、どこそこ!?

調べると、カリフォルニア州の田舎町でした。

僕の夢は世界チャンピオンになることとアメリカで試合をすることだったので、それが同時に叶えられる!という嬉しさがありました。

練習と減量

僕の当時の減量前の体重は64㎏でした。

ボクシングを始めたころは48㎏

プロデビューが決まったころは53㎏

バンタム級でやった最初のタイトルマッチの時は58㎏

だんだんと骨格や筋肉が大きくなり、体重がだいぶ増えていました。

スーパーフライ級のリミットは52.1㎏

12㎏ほどの減量になります。

そして今回は1週間前にアメリカへ向かうので、最後の調整はいつもと違います。

いつもなら試合の3週間前くらいから減量を始めますが、今回は正式に試合が決る前の2月から徐々に体重を落としていました。

とはいっても、練習をして強くなることがメインなので練習に支障がないよう、食事のバランス、質、タイミングに気を付け無理のないように体重を落としました。

練習量を増やすため、アルバイトを辞めてて試合に備えました。

午前中に走り、週に1回は後輩の田口君、久我、中山、僕の4人で池上本門寺をダッシュトレーニング。

午後はジムワークでアンカハス選手を対策した練習。

スパーリングは合計144Rやりました。

過去最高に練習し、最高の調整ができて自信を深めました。

体重は最後のスパーリングをする頃には55.4㎏で、リミットまであと3㎏ちょっとで順調でした。

アメリカへ出発

体重、調子共に絶好調でアメリカへ向かいました。

家族や、記者さん、地元の応援団に見送られ、ベルト奪取に向けての気持ちが更に強くなりました。

飛行機の席はエコノミーだったので、実費でビジネスに変えてもらおうとしましたがゴールデンウィークで混雑しておりできませんでした。

でも、僕は結構どこでも寝れるタイプなので飛行機の中では爆睡でした。

アイマスクや首掛け枕など、爆睡グッズを買いそろえてくれた妻に感謝です。

アメリカでの調整

ストックトンは治安が良くないという情報があり、しっかりしたホテルに泊まれるか心配でしたが、とてもきれいなホテルで安心しました。

部屋も広くて快適でした。

ですが周りに練習できそうなジムがなかったのですが、ホテルの運動施設が練習場所になりました。

良いホテルで良かったです。

ホテルの練習場

ストックトンに着いたのは試合の一週間前。

この時期は走り込みはしないで、疲れを取りながらの調整をします。

朝は散歩をして、シャドーボクシングで汗を流し

夕方はジムでミット打ちをして体重を落としました。

写真に写っている女性はまだボクサーとしてぺーぺーだった頃から写真を撮ってくれているカメラマンで

アメリカにも同行してくれて、ずっと写真を撮ってくれたり通訳や練習場所の確保などたくさんお世話になりました。

試合まで

プロモーションの撮影、メディカルチェックなどがあり結構忙しかったです。

さすがアメリカの大手TOP RANK社だなぁと新鮮でした。

撮影は僕の泊ってる同じホテルでやりました。

撮影

メディカルチェックは病院を何件も回り、朝から夕方までほぼ1日かけて大変でした。

ある日、「入場曲を教えて!iTunesで調べるよ」と音響担当の人に呼ばれ、僕の大好きな芸人の江頭2:50さんのテーマソングになっている布袋寅泰さんのスリルをお願いしました。

計量は観衆を集めて試合会場で行いました。

計量

初めての観衆ありの計量はインタビューなどもあって楽しかったです。

一言二言は英語であいさつをした方が受けが良いと聞き、必死に覚えたのは良い思い出です。

肝心のスピーチは何とか集まって人達に伝わってのでオッケーです。

世界戦

会場入りするのにセキュリティがしっかりしていて、トップアスリートっぽいなぁと少しうれしく思いました。

控室でアップをして入場。

入場曲のスリルがかかるを待っていましたが、いつまで経ってもかからない。。。

でもなんか知らない曲はかかってるし、カメラ持ってる人とかがスタンバってる。。。

これはもしかして僕の入場曲なのか!?

あの、スリルは...?

と疑問を持ちながら入場しました。

Photo By NakakoYokoyama

日本からたくさんのパワーをもらいました。

みんなが書いてくれたメッセージ
SOETEで応援してくれたみなさん
京急蒲田の豚番長で応援してくれたみなさん

アメリカでの試合は最高に楽しかったです。

Photo By NakakoYokoyama

結果は7RTKOで負けてしまいましたが、この経験を出来て僕は幸せ者です。

自己紹介として振り返ってきましたが、僕はたくさんの人に支えられてきたんだなぁと実感しています。

引退して当時支えてもらっていた人達になかなか会えないのですが、感謝の気持ちをいつまでも忘れずにいます。

ボクサーとして得たたくさんの経験をこれからの人生に活かしていきます。

自己紹介ボクシング編

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