【自己紹介⑦】スーパーフライ級

前回のブログの続きです。

東洋バンタム級タイトル挑戦に失敗し、減量がまだ楽だったのでスーパーフライ級に戻ると決めました。

練習再開

退院後、約1か月ぶりに練習すると怪我に影響で視界がダブついたりして、なかなか感覚が戻りませんでした。

しかし、前回の試合から半年間試合が決まらないとランキングがなくなってしまうので2013年3月21日タイの選手と試合を決めてもらいました。

相手は正式な試合は1戦1敗、いわゆるのかませで呼ばれた選手です。

練習では目のことを考えてスパーリングはしませんでした。

なので、めちゃめちゃ試合が不安でした。

試合開始後、さっそく大振りのフックをもらいグラつきました。

やばい!と思いましたが、そのパンチで冷静になり3RKOで勝てました。

8月30日にもタイの選手と試合をして、1RKOで勝つことができました。

この2試合の応援に来てくれた人たちには申し訳ない気持ちでいっぱいです。。。

2試合とも、かませと呼ばれるような実力の差がある選手との試合でしたが、データのなくて不気味だったので僕は試合が終わるまで緊張感がかなりありました。

実際にそういった試合に敗れている選手もいるので油断は禁物なんです。

タイの選手と2戦してからは目の状態もだいぶ良くなり、ようやくスパーリングを開始できるようになりました。

徐々に戻る感覚

スパーリングで徐々に感覚が蘇ってきました。

そして、久しぶりに日本人選手との試合が12月9日(vs.大嶽正史選手)に決まりました。

大嶽さんは気持ちの強い選手なので、せっきん打撃戦になると思い接近戦の対策をした結果うまくいき3RTKOで勝つことができました。

2014年4月9日(vs.星野晃規選手)では相手のハードパンチに苦戦しながらも、なんとか2-0の判定で勝利

10月24日(和氣晃規選手)では思い通りに動け、自分の得意な中間距離で戦うことができ4RTKOで勝利

2015年3月26日は僕が出場した2007年の新人王トーナメントに同じ階級でエントリーしていてばっちり意識していた大塚隆太選手と試合が決まり、序盤は大塚くんのスピードに戸惑いましたが練習していた右クロスが入り3RKOで勝利

6月26日に決まった試合ではライアン ビト選手8R判定で勝利して、vs.フィリピン人選手の苦い思い出(東洋タイトルマッチ)のイメージを克服しました。

その頃には日本ランキングは1位になっていました。

チャンピオンカーニバル

年に一度、日本チャンピオンと日本ランキング最上位の選手がタイトルマッチをしなければいけないルールがあります。

そのイベントをチャンピオンカーニバルと言い、当時日本1位になっていたので2016年4月17日日本タイトルマッチが決まりました。

チャンピオンは21戦21勝10KOの石田匠選手でした。

前回のタイトルマッチから3年半、またチャンスがきました。

前回の試合でのミスを絶対にしないように対策をして、もうそれはハチャメチャに練習しました。

大阪で迎えた日本スーパーフライ級タイトルマッチは序盤から身体が楽で調子が良い。

これはイケる!

そう思いました。

3Rに石田選手は右まぶたをカットしました。

レフェリーはその傷を僕のパンチによるものだと判断しました。

万が一、この傷が原因で試合が止まったら僕の勝ちです。

しかし、”たぶんパンチじゃなくて頭が当たってカットした”と思ってしまい

正々堂々と戦いたかった馬鹿正直な僕は相手のことを気の毒に思ってしまいました。

本来だったら、その傷を狙ったりして勝ちに徹したほうが良いのですが、その傷を狙いにいけませんでした。

完全なバカですよね。。。

結果、10R 2-0 判定負け

書いていて当時の自分にイラつきます。

もちろん、傷を狙ったところで結果は変わらなかったかもしれませんが、自分のそういうところが嫌いで仕方ないです。

2度目のタイトル挑戦失敗に、自分はチャンピオンになれない星に生まれたと思いました。

さすがにもう引退か

そう思いましたが、休養後に軽く体を動かしにジムへ行くと担当トレーナーの高橋さんが熱心に足りなかったところを指導してくれました。

人づてで聞いたのですが、どうやら僕がチャンピオンになれると信じてくれていて、当時の僕の気持もわかった上で指導してくれたようです。

その日の練習で、「まだやめるな。俺はお前をチャンピオンにする」と言ってくれました。

殺し屋の目

前々からたくさんの応援者に、「船井は優しすぎる」と言われ続けていました。

自分ではその意味が分かりませんでした。

ですが、同じジムの後輩で世界チャンピオンの田口良一くんの試合の応援に行ったときにその意味が分かりました。

田口良一Wikipedia

一緒に応援に行っていた方が言いました。

「おい、あの目見てみろよ!殺し屋の目だな!」

田口君は優しい性格なのですが、試合の時は目が違いました。

普段は優しいその目は、鋭くて獲物を捕らえるような、まさに殺し屋の目でした。

このとき、「俺にないものはこれだ」と気付きました。

試合の時は殺し屋になる

これが出来なかったらチャンピオンに一生なれないと思いました。

僕は現役復帰を決めていました。

この時の戦績は31戦24勝16KO7敗

続く、、、

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